ギル・エルブグレンについて
彼の自画像
イングリッシュペイシェント、1997年のアカデミー賞に輝いた作品には
こんなシーンがある。ぶっきら棒な主人公、アルマシーが書いた論文を
友人の奥方であるキャサリンが非常に形容詞の少ない論文と評した時のことだ。
「どう形容しようと物は物です。大きな車、遅い車、運転手付きの車。
車は車です」
アルマシーの素っ気のない言葉にキャサリンはこう返す。
「愛は?ロマンティックな愛、プラトニックな愛、全然違うわ」
どちらがまことであるかはさておき考えさせられるシーンだ。個人的な意見では、笑顔についてはキャサリンの立場をとる。蠱惑的な笑顔、あどけない笑顔、溌剌な笑顔。
エルブグレンの描く女たちは溌剌とした笑顔よく似合う。
青い空、白い雲、眩い女
(anchor A wow)
エルブグレンの描く女の多くがピンナップガールというヌードや水着姿など、エロティックを売りにしたイラストのジャンルとして評価されている。しかし、今日評価されるべきはその朗らかな表情だろう。
あどけないというにはあまりにも大人びていて、蠱惑的というには屈託がなさすぎる。
そんな表情を出せる人間は中々少ないのではないだろうか(少なくとも私は一人しか見かけたことがなく、その女性はモンゴル系アメリカ人である)
健康で笑顔に満ち、日常生活(趣味やレジャーを含む)営む女たちのポスターは
溌剌とした笑みを浮かべて、私たちに活力を与えてくれる。
ジョセフ・コーネルについて
空間は広がりと流れの他に区切りを持つ。
例えば、私の部屋は壁と扉という簡単な線が区切り。川端の「雪国」はトンネルが区切りだ。雪国という空間は、トンネルというある種の空間によって区切られる。バカンスにいくならば、時間も区切りにできるだろう。飛行機の滞在を挟んで全く違う空間と時間を私たちは得れる。
ジョセフはというと箱を区切りにして、ある種の空間をそこに閉じ込めた。
大きさは上記の写真から分かるような小さな箱である。前面がガラス板で閉じられており、その中にコーネルはコレクションしてきた膨大な数の写真、骨董、本の1ページを置いた。
臥せいるような青、古典的な姿勢で描かれた人たち、敷き詰められた物
(メディチ・プリンセス)
ジョセフの作品は幾つものスタイルがあるが、最も多く感じるのは上にあるメディア・プリンセスのような中央に人が佇んでいるようなものであろう。これらは懐かしい、ノスタルジックといった形容を感じさせる美的要素を含んでいるとの記述が多数ある。
確かにそれは合っていると思う。誰だか分からないが、憶測でいうならば既に死んでとうに忘れ去られている人という印象を受けるからだ。
昔なんと言ったか、綺麗な人がいた。そんなシンプルな形容詞で締めくくられ、老人の思い出話の中で出てくるような人。
そんな人の写真が屋根裏色の古い木の枠の中でひっそりと佇んでいる。
漂ってくるのは間違いなく忘却の匂い、それが懐かしさを想起させるのだ。